イタリア統一について【世界史】

今日はイタリア統一について解説します。定期試験範囲だからです。わかりやすく解説するのでぜひ最後まで見ていってください。

目次

イタリア統一とは?

イタリア統一は、サルデーニャ王国を中心に、政治家カヴールの外交、ガリバルディの軍事力、そして民衆のナショナリズム(自分の国家持とうぜ)が結集して成し遂げられました。ドイツが軍事的に統一されたのに対して、イタリアはより柔らかい感じで統一されました。

統一前のイタリア

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統一前のイタリアは様々な勢力が入り乱れるカオスな地域でした。北イタリア東部は隣接する大国オーストリアの影響を受けていて、教皇領はフランスの影響を受けていました。北部のサルデーニャ王国と南部の両シチリア王国だけはイタリア人が主権を持って政治を行っていました。

イタリア統一を重要人物から開設する

首相カヴール

いけおじ???

彼はサルデーニャ王国の首相として、巧みな外交手腕を駆使し、統一の立役者となりました。フランス皇帝ナポレオン3世と密約を結び、オーストリアとの戦争(イタリア統一戦争)を開始しました。この戦争で北イタリアのロンバルディアを獲得し、統一の第一歩を踏み出しました。外交も頑張りフランスやイギリスといった大国を味方につけた。

ガリバルディ

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ガリバルディはわずか約1000人の義勇兵からなる「赤シャツ隊」(正式名称は「千人隊」)を組織し、船で南イタリアのシチリア島に上陸しました。赤シャツ隊は両シチリア王国軍を破り、シチリア島と南イタリア本土を征服しました。ガリバルディは自身の征服地をサルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(のちにイタリア王国初代国王)に献上し、イタリア統一に大きく貢献しました。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世

1849年に父王カルロ・アルベルトの退位を受けて、サルデーニャ王国の国王に即位しました。統一運動の主導者であるカヴールを首相に起用し、巧みな外交によってイタリア統一を推進しました。1861年にイタリア王国が成立すると、初代国王に即位しました。

青年イタリアとは?(そこまで覚えなくてもいいよ)

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青年イタリア(Giovine Italia)は、19世紀のイタリア統一運動(リソルジメント)において、思想的・政治的な中心となった秘密結社です。1831年に革命家であり思想家のジュゼッペ・マッツィーニ(カヴール、ガリバルディと並び三大イタリア英傑)が亡命先のフランス・マルセイユで結成しました。イタリア全土をオーストリアの支配から解放し、単一の統一された共和制国家を樹立することを目指しました。これは、統一を立憲君主制の下で進めようとしたサルデーニャ王国(カヴール)とは対照的な思想でした。

覚えておくべき単語

カヴール

ガリバルディ

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世

青年イタリア

サルデーニャ王国

両シチリア王国

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