中国の軍閥時代(1916年〜1928年)は、清朝が滅亡した後の中国で、各地の軍事指導者(軍閥)が自らの領地と軍隊を維持して争った混沌の時代です。今日はこの軍閥時代にあった各軍閥を紹介しようと思います。内容に間違いがある可能性もあるので、間違っているところがあったら是非コメントで指摘をお願いします。
目次
軍閥時代の原因
- 袁世凱の死: 清朝を倒した後に実権を握った有力者・袁世凱が1916年に病死したことが最大の引き金です。突然実力者が消えたため後継争いのような状態になってしまいました。
- 中央政府の弱体化: 北京にあった中央政府(北京政府)に、地方を統制するだけの経済力も軍事力もその当時は残っていませんでした。広すぎる中国を統制するのは大変ですから、
- 列強諸国の介入: 日本、イギリス、アメリカなどの列強が、自国の利益を守るために特定の軍閥を裏で支援(資金や武器の提供)したため、争いが長期化・複雑化しました。帝国主義や、、、。
各軍閥を紹介
直隷派
直隷派は、1910年代から20年代にかけて、北京政府の主導権を握った北洋軍閥の二大派閥のうちの一つです。北洋軍閥の祖である袁世凱(えんせいがい)が亡くなった後、その部下たちが分裂して誕生しました。直隷派は河北省、江蘇省、江西省、湖北省など、長江流域の豊かな地域を支配しました。支援する列強国はイギリスやアメリカなどの国でした。初代指導者は袁世凱の側近であり副総統、総統を務めた経験もある馮国璋(ばこくしょう)、二代目は金で大統領を買ったと呼ばれる曹錕(そうこん)でした。
安徽派
「北洋軍閥」の三つの軍閥(直隷派、安徽派、奉天派)の中で最も早く台頭しましたが、強硬な政策と日本への接近が原因で、比較的早く表舞台から去ることになりました。指導者は袁世凱の腹心、段祺瑞(だんきずい)で彼は軍事の天才と呼ばれていました。安徽派は日本によって支援された軍閥でした。しかし癒着の行き過ぎ(多額の借款など)により五四運動を引き起こした要因にもなりました。
奉天派
奉天派閥は満州(現在の中国東北部)を地盤とした軍閥で北洋軍閥の中でも最後期まで強力な勢力を維持しました。指導者は爆殺で有名な張作霖で、支援国は日本でした。日本は満州の傀儡化を目指し奉天派へ武力の支援や経済的な支援を行いましたが、張作霖は日本の言いなりになることはなく、必ずしも日本の意に沿う行動をしなかったそうです。かなり強力な力を持っていましたが蒋介石の北伐に迫られ、最終的に張作霖は爆殺されてしまいました。息子である張学良は蒋介石を誘拐し国共合作を進めるなど、超反日な人になりました。
山西派
山西派は、中国の軍閥時代において、ある意味で「最も成功した」と言える異色のグループです。他の軍閥が激しい抗争の中で数年〜10年程度で消えていったのに対し、山西派は閻錫山(えん しゃくざん)という一人のリーダーのもと、約38年間にわたって山西省を支配し続けました。山西は周囲を山に囲まれた地形、豊富な資源など自立した経済や国防を築くことが比較的容易であり、他省に比べると安定した社会を築くことに成功したそうです。蒋介石の北伐の勢いが増すと蒋介石側に寝返り蒋介石を手助けしました。しかし、北伐成功後は中原大戦(国民党が軍縮を開始し、地方閥の軍が削減され反感を持った軍閥が戦かった)にて蒋介石と戦ったものの敗北しました。
西北派(馮玉祥系)
西北派は、主に中国の西北部(陝西省、甘粛省、寧夏回族自治区など)を拠点とした軍閥です。このグループは、大きく分けて馮玉祥(ふう ぎょくしょう)率いる国民軍系と、馬一族と呼ばれるイスラム教徒の軍閥(馬家軍)の二つの派閥があります。馮玉祥は熱心なキリスト教徒であり、その信仰を軍の統治に持ち込みました。彼は「裏切り将軍」というあだ名がありこれは、第二次奉直戦争の際、直隷派の将軍として最前線にいた馮玉祥は、突如として軍を北京へ引き返し、味方であるはずの直隷派のトップ・曹錕を監禁したことから言われています。彼も蒋介石に協力し北伐を助けたものの中原大戦にて蒋介石と戦いました。
馬家軍
馬家軍は西北地域のイスラム教徒が率いた軍閥で「馬」という姓を持つ一族が指導者の多くを占めたため、こう呼ばれました。他の軍閥が中央の政権(北京や南京)を争ったのに対し、彼らは皆がイスラム教徒ということから非常に強い団結力を持ち、独自の勢力を数十年間にわたって維持しました。馬家軍は騎兵が強く、広大な砂漠や山岳地帯を馬で駆け抜け、大刀(背負い刀)を振り回して突撃するスタイルは大きな脅威となりました。特に共産党軍は馬家軍に苦しめられました。
雲南派
は、中国南西部の雲南省を拠点とした軍閥です。地理的に中央(北京や南京)から遠く離れていたため、独自の精強な軍隊と広範な自治権を持ちました。フランス領インドシナとと国境を接したことからフランスの武器を購入するなどフランスの影響が強かったそうです。
広西派
広西派(桂系)は、中華民国初期に広西省を拠点として活動した軍閥派閥です。時代によって旧桂系と新桂系の2つに分けられ、後者は中華民国史において重要な役割を果たしました。旧広西閥は匪賊出身が多く政治的要素が薄かったそう。広東進出後、腐敗と横暴な支配で現地民衆の反感を買い、それが敗亡の一因となりました。新広西派の指導者になったのは李宗仁で彼は初代中華民国副総統も務めました。彼は北伐に協力したものの後に蔣桂戦争で蒋介石と戦い敗北しました。中原大戦にも参加したましたが負けました。蒋介石強すぎる、、、。
四川派
四川省は「天府の国」と呼ばれるほど豊かで広大な盆地ですが、周囲を険しい山々に囲まれた閉鎖的な地形でした。中心的な指導者がいなく、軍閥内で様々な勢力がある状態でした。軍閥時代はそこまで目立った印象はありませんが(私が知らないだけかも)抗日戦争では総兵力の5分の1を送り出し大きな貢献をしました。
新疆派
新疆派は、中華民国期に新疆省を統治した軍閥です。他の地方軍閥と大きく異なる点は、中央政府から事実上独立していた点、さらにソ連の影響を直接的に受けた唯一の軍閥であるという点です。ソ連から軍事援助や資金を受け取り、一時は「ソ連の17番目の共和国」と呼ばれるほど、ソ連の影響を強く受けたそうです。
以上が軍閥の紹介です、貴州派や湖南派もありましたが貴州派などは他省に依存していたりあまり存在感がなかったため省きました。ごめんね。全体的にはこんな感じです。
中央を争った三派(奉天・直隷・安徽)
独自の城を守った(山西・雲南・四川)
宗教と機動力の(西北・馬家軍)
蒋介石のライバル(広西)
ソ連との境界に生きた(新疆)
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