画像引用 wiret japan
デトロイトは有名ゲームにもなったアメリカの有名な都市。しかしデトロイトは2013年に財政破綻。一時は200万人に迫った人口が、、、。そんなデトロイトをこの記事では紹介します。
目次
デトロイトの基礎情報
デトロイトはアメリカ、ミシガン州にある人口63万人(全米12位)の都市。フォード、GM、クライスラーなどの巨大自動車会社の工場や本社がある。かつてアメリカの自動車都市として繁栄したこの年は2013年に財政破綻した。
デトロイトの歴史
1701年にフランスの探検家アントワーヌ・ド・ラ・モト・カディヤックがフォート・デトロイトを築いた。
1899年に自動車産業が興り、フォード、GM、クライスラーなどのビッグスリーが頑張る
1950年代、デトロイトは人口160万人を超えアメリカで5番目に大きな都市となる。
1967年、差別されていた黒人が暴動を起こし、多くの死傷者がでる。暴動によって白人が郊外へ移住するようになった。
1970年代以降、日本やヨーロッパの自動車メーカーの台頭、オイルショックなどの影響で、デトロイトの自動車産業は衰退した。
2013年、デトロイト市は財政破綻をした。
デトロイトが衰退した理由
黒人差別から起きた暴動
デトロイトの繁栄には、南部の黒人労働者が大きくかかわっています。しかし、黒人はその時代、今よりもひどい人種差別を受けていました。黒人は低賃金ではたらかされスラムに住まわされていました。1967年ついに黒人による暴動が発生。多数の死傷者を出してしまいました。このようなことから、白人が郊外に移住(ホワイトフライト)するようになりました。これによりデトロイトの自動車工場は多くの雇用を失ってしまいました。
日本車の台頭
日本車は安さや性能、燃費の良さを生かして戦後アメリカを含めた世界で大きく広まりました。まだまだ、保守的なアメリカ人はフォードやGM、クライスラーなどのアメ車を購入してましたが1970年代に二度のリーマンショックがおこるとアメリカの50%以上が日本車となり、アメ車は買われなくなりました。それに伴い、フォードGMクライスラーは経営難になりました。
産業が自動車だけだった
デトロイトは産業の多角化がなされておらず、自動車産業一本の街でした。政府も国民もフォード、GMクライスラーが経営難になるなど思っていなかったからです。そのため、日本車によりアメ車が売れなくなったデトロイトは失業者であふれてしまい、また別の企業に再就職しようとしても求人が全然ない状態になってしまいました。
現在のデトロイト
デトロイトは現在、すこし景気が回復してきています。2桁だった失業率が、今は7%にまで回復。スラム化したダウンタウンも活気を取り戻しておりオフィスも空室が減ってきたそうです。 最近では、ロボット産業も盛んで川崎重工やファナックなどが研究開発の拠点を置いています。もしかするとデトロイトはかつての栄光を取り戻すのかもしれません。犯罪率はめちゃ高いけどね、、、
まとめ
デトロイトを調べたことで、産業の多角化の重要性や企業や政府の慢心の恐ろしさを知りました。石油で経済を成り立たせている国ももしかしたら危ないのでは?などとも思いました。日本や世界はデトロイトの例を反面教師にしていきたいですね。